酒井順子『駆け込み、セーフ?』
「死んでもネクタイ外しません」の章
その大事なネクタイを「外しましょう」と政府が言う背景には、「ネクタイ的なものって、もう信用できないですよね」という時代の空気があるような気もするわけで…
そんなクールビズも定番になった。が、「ネクタイ的なものを信用できない」という時代の空気は、今おもしろい感じで変化している気がする。
それは、どんなに寒くても5月1日になればクールビズが開始される。ネクタイどころか、2020年の5月はまだスプリングコートを着なければ寒い日もあったのに。
2020年は新型コロナウイルスが猛威を振るった年でもあった。
電車は窓が薄く開けられ、常に隙間風のような寒さがあった。
乗客も少なかったから余計に風は身を切った気がする。
であるが「クールビズ」は何事もなかったように行われた。
ネクタイさえ締めていれば、一生無事に家庭を守れた時代があった。
今や、ネクタイを外すクールビズとともにその安心感はなくなった。
そして私たちを覆うのは、「状況に応じて判断することができない窮屈な世の中」だ。
ネクタイを外して首元が自由になるはずだった時代に、私たちはどこへ向かっているのだろうか。
「運転が下手な男って…」の章
結婚というのは、まさに「人生ゲーム」のコマのように、一人の男が運転する車にずっと乗っているようなものなのだ、と。
人の運転する車に乗るときは、文字通り生殺与奪をハンドルを握る人に預けるということだ。
教習車ではないから、助手席にはブレーキもない。ハンドルを握れるのは車の中で一人だけなのだ。
女性から見ると確かに男性の握るハンドルに我が身の安全をゆだね続けるというのは非常に決断がいることであると思う。
私が一番怖いと思うのは、結婚も車も同じように「密室」だということである。
車の中で行われていることは、窓を開けない限り外には聞こえない。
家の中もしかり。
最近はスモークウィンドウの車も増えてきたから、車の中も見えないのだ。
家庭も車のように走り、ハンドルひとつで行き先を誤り、その先は崖だったり海だったりしてしまうことがなくもないのでは、と考えると空恐ろしい気がする。